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沿革

1951年の創立以降、戦後の日本復興に貢献したいという想いから、国内外の社会インフラ整備に深く関わってきたパシフィックコンサルタンツグループの沿革をご紹介します。

1950~1960年代

1951

  • 19519
    米国法人 パシフィックコンサルタンツ・インコーポレイテッド 創立
  • 1951
    米国法人 Pacific Consultants Inc 創立

    白石宗城、エリック・フロア、アントニン・レーモンドの平等出資により米国法人パシフィックコンサルタンツ・インコーポレイテッド 創立 (米国デラウェア州に登記、本社・シカゴ、東京支社・丸ビル424区)

1954

  • 19542
    日本法人 パシフィックコンサルタンツ株式会社 設立
  • 19542
    日本法人 パシフィックコンサルタンツ(株) 設立

    日本法人としてパシフィックコンサルタンツ株式会社 設立
    (東京・新宿西口 東富士ビル[現在はスバルビル])、資本金30万円

  • 1956
    丸の内線調査設計

    通勤の足となる新路線
    主要区間で駆使された技術と知識

    帝都高速度交通営団からの依頼により、当社は丸ノ内線「霞ヶ関―赤坂見附」間の調査設計・土質調査を任されました。「霞ヶ関―赤坂見附」間の約230mはシールド工法で掘削を実施。日本の地下鉄としては初めての試みでした。それから3年後の1959年3月15日には「霞ヶ関―新宿」間の5.8kmが開通し、丸ノ内線全線の開業を見るにいたりました。朝の通勤時には1分50秒間隔で電車が到着するという、高密度運転路線への礎です。

  • 1958
    名神高速道路高架橋比較設計

    未来への架け橋
    ハイウェイ時代幕開けの象徴

    日本初の高速道路「東京―神戸」間。経済性、構造特性など、様々な点で最良の構造形式を決定するための高架橋比較設計が託されました。1958年、その設計に基づき「小牧―西宮」間の191kmが着工。1963年には「栗東―尼崎」間が開通しました。また、日本で初めて「総価単価契約方式」が採用された土木工事であり、工種ごとの単価表を添付した競争入札の第1号です。高速道路に高架橋の可能性を持ち込んだ業績は、高く評価されています。

1959

  • 19594
    札幌出張所開設(1965年4月札幌支社に昇格、1992年4月北海道支社に改称)
  • 1959-1961
    首都高速1・3号線上下部構造設計

    5年後にオリンピック開催
    急ピッチで首都圏交通網の整備を!

    1964年東京でのオリンピック開催に向けて、1号線など「オリンピック関連道路」の工事を優先的に進めるなかで、当社も構造設計に着手しました。工期短縮のため、用地買収の必要がない"既存の道路や川などの上に道路を作る"方法を採り、羽田トンネルなどは沈埋函工法を採用。首都高速1号線の開通は1962年、オリンピック関連道路全線の開通は開会式の9日前。通常の手順では不可能な工期を、アイデアや最先端技術を駆使し実現させました。

1961

  • 19615
    名古屋出張所開設(1965年4月名古屋支社に昇格、1992年4月中部支社に改称)
  • 1961
    東海道新幹線地区・橋梁設計

    時速200kmで快適移動
    受け継がれる偉大な技術

    東海道新幹線プロジェクトにおいて、日向町/鴨宮地区の設計、および富士川橋梁設計に関わりました。世界初、日本初の高速鉄道は、従来線の狭軌とは異なる標準軌を別線で建設。未知の部分も多く、プロジェクトでは沿線全エリアの地形や気候等を詳細に考え合わせ、綿密に設計を行う必要がありました。この路線で培われた技術とノウハウは後に他路線の新幹線に受け継がれ、「ひかり」「のぞみ」「こだま」など、多くの子孫を誕生させました。

1962

  • 19625
    大阪出張所開設(1965年4月大阪支社に昇格、1995年10月大阪本社に昇格)

1963

  • 196311
    福岡出張所開設(1965年4月福岡支社に昇格、1992年4月九州支社に改称)
  • 1963
    東名高速道路 道路設計・構造物設計

    レジャーやビジネスなど輸送が一変
    日本の大動脈完成

    日本初の高速道路・名神高速道路の時に注ぎ込んだ技術・ノウハウを活かして、およそ350kmにも及ぶ高速道路の設計を進めていきました。そして、1968年に「東京IC―厚木IC」、「富士IC―静岡IC」、「岡崎IC―小牧IC」が開通したのを皮切りに、1969年、ついに全線開通にいたります。東名高速道路は、1964年開通の東海道新幹線、1965年開通の名神高速道路とともに、東京―大阪を結ぶ主要幹線となり、陸運貨物では鉄道を超える実力です。

1965

  • 19652
    仙台出張所開設(1965年4月仙台支社に昇格、1992年4月東北支社に改称)
  • 1965
    大阪国際空港設計

    万国博覧会開催に向けて
    大阪国際空港を強化

    1970年大阪での万国博覧会の開催が決定。アジア初の国際博覧会に向け、世界からの訪問者をしっかりと迎えるために、1965年大阪国際空港の設計を託されます。予測される輸送量に応えられるか、安全は確保できるか、周囲の交通網と連携してスムーズに目的地に向かえるか。――万国博覧会は大成功を収め、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本を象徴する空港の一つとして、国内外から多くの注目を集めました。

  • 1967
    新東京国際空港設計

    航空新時代に相応しい設計を
    新時代に対応した新国際空港

    新時代の空港に必要とされるのは、4,000 m滑走路2本、3,600 m滑走路1本、2,500 m滑走路2本。その他様々な機能が望まれていました。そんな巨大空港を頭に描きつつ、航空新時代をにらんで空港設計を遂行。1978年5月に開港した後、2004年に民営化(特殊会社化)され、名称が「成田国際空港」に変更されました。現在では都心からのアクセスも格段に良くなり、世界へ通じる玄関口として、当社の原案を活かしつつ日々進化を続けています。

1968

  • 19681
    新潟出張所開設(2006年10月北陸支社に改称昇格)
  • 1968
    宮の森ジャンプ場設計・管理

    金、銀、銅メダル獲得の舞台
    日の丸飛行隊を見守った競技場

    1972年、札幌で冬季オリンピックが開催された際に新設された「宮の森ジャンプ場」。1968年、当社が設計を行い、プレオリンピック直前の1970年に完成しました。完成時には、市街地のすぐ近くに大ジャンプ台が存在するという、札幌の素晴らしい競技環境を世界に示す建造物として存在感を示しました。今でも多くの競技会が開催され、大きな感動を生むジャンプ台は、冬はもちろん、夏に北海道を訪れる観光客にも人気の名所となっています。

1970~1990年代

1971

  • 1971
    種子島宇宙センター大崎射場設計

    現在と未来とを繋ぐ
    世界で最も美しいロケット基地

    種子島宇宙センターの中に、実用ロケットの打ち上げを目的として開設されたのが『大崎射場』。自然と調和する施設をイメージして設計を進めました。当センターの中核施設であり、NASDA(宇宙開発事業団)初の実用ロケットであるN-1ロケット以降、デルタロケットを基本としたロケットはここで打ち上げられました。気象衛星「ひまわり」をはじめ、独自の役割を担った人工衛星が大崎射場から出発し、人々に大きな恩恵をもたらしてくれます。

1972

  • 19726
    沖縄出張所開設(1996年10月沖縄支社に昇格)

1976

  • 1976
    関越自動車道関越トンネル詳細設計

    最新技術を駆使して問題点を解決
    雪国に暮らす人々の生活が大きく変化

    谷川岳の標高700m付近を最短ルートで一直線に貫いた関越トンネルプロジェクト。全長およそ11kmにもおよぶトンネルの設計・工事で採用したのは、全断面掘削工法。この工法でこれほど長いトンネルを掘ること自体、とても画期的なことでした。1985年に暫定開通を迎え、峠越えの交通所要時間は1時間以上も短縮。急峻な谷川岳を貫く日本最長の道路トンネルは、豪雪に阻まれることもなく、東西の物流、人の行き来を飛躍的に伸ばしました。

1978

  • 197810
    広島出張所開設(1992年4月中国支社に昇格)

1984

  • 19844
    高松出張所開設(1998年4月四国支社に昇格)
  • 198411
    筑波実験場(現:つくば技術研究センター)開設
  • 1984
    東京湾横断道路環境調査/その1

    軟弱地盤と高水圧との戦い
    海を挟んで東京湾岸エリアが一つに

    神奈川県川崎市から東京湾を通り、千葉県木更津市に至る東京湾横断道路(愛称:東京湾アクアライン)。当社は、大気や振動、水質や生態学、景観などの環境調査全般を担当。環境調査をはじめ様々なデータが集められ、実現性の検討を重ねた末、ようやく1989年に着工。1995年に橋梁部分が、1997年にはトンネル部分が完成し、開通を見ました。川崎と木更津を30分で結び、湾岸地域の交通渋滞を大幅に解消させる切り札の一つになっています。

1993

  • 1993
    横浜みなとみらい21中央地区整地基本設計

    中心エリアの設計に尽力
    21世紀にふさわしい未来型都市

    横浜市の西区と中区に広がる東京湾に接する地域、横浜みなとみらい21。その基本となる重要な中央地区整地基本設計に、技術とノウハウを注ぎ込みました。基本的方針に基づき計画的に整備が進められ、電線や光ファイバーは、共同溝の中に上下水道などと一緒に埋設。効率的なごみ収集、地域冷暖房の導入で、省エネにも配慮されています。21世紀にふさわしい未来型都市として開発が進められ、1997年には、都市景観100選を受賞しました。

1995

  • 1995
    阪神高速道路震災復旧設計

    大幅に早い全線復旧を実現
    強く環境に優しい阪神高速誕生

    1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。阪神高速道路3号神戸線の倒壊は、震災の凄まじさを物語るものでした。即日、社内に緊急対策本部を設置。現地で把握した情報を基に、倒壊、落橋、崩壊した瓦礫の撤去に対する方策を検討し、損傷構造物には支保工の設置、鉄板の巻き立て、桁連結の設置などの応急対策を立案。さらに、強靭さを発揮する設計、技術、工法を模索しながら復旧作業を推進。1996年9月30日、全線復旧を実現させました。

1998

  • 1998
    首都高速道路交通管制システム調査

    数々生まれる新技術
    テクノロジーを活用した交通情報

    首都高速道路公団では、1997年に首都高速交通管制システムを統括する「総合監理システム」の導入を行いました。そのシステム調査を担当したのが当社でした。首都高速道路上の異常事態を即座に把握するのはもちろん、正確な情報をリアルタイムで配信することが可能な総合監理システム。走行時間短縮による時間的メリット、スムーズな走行での燃費改善による経済的メリット、CO2削減による環境への負担軽減などを生み出しました。

1999

  • 1999
    つくばエクスプレス線設計

    秋葉原―つくば間を45分で結ぶ
    筑波学園都市に新交通インフラを

    初めて構想が練られたのは1978年。以降紆余曲折を経て、1990年に「首都圏新都市鉄道」プロジェクトがスタート。茨城県高岡市柿岡にある気象庁地磁気観測所への影響に配慮した電化方式を考慮するなど、数多くある留意点を検討しながら、現在の"秋葉原から北千住を通り、南流山、守谷、みどりの、に抜けるルート"に決定。通勤路線としてだけでなく、東京、千葉、埼玉方面から筑波山への観光客輸送の主要ルートとしても大活躍しています。

2000~2010年代

2000

  • 20002
    パシフィックコンサルタンツグループ株式会社設立
    パシフィックコンサルタンツ株式会社、株式会社パシフィックコンサルタンツインターナショナルを完全子会社化

2002

  • 2002
    首都圏外郭放水路計画

    浸水被害から地域を救う
    日本が世界に誇る防災地下神殿

    春日部市の国道16号線の直下50mの地底に、長さ約6.3kmの河川をつくるという、世界最大規模の洪水防止施設。1993年に開始したプロジェクトで、放水路の地下トンネル区間をはじめ、全体構想から水理解析、構造物や施設の計画設計、完成後の騒音・振動・水質のモニタリング調査まで、ほぼ全てに渡り専門性を駆使。通常時の空洞状態のさまはあたかも地下神殿のよう。テレビ番組、特撮、CM、映画など、数多くの撮影にも使用されています。

2003

  • 2003
    「エチカ表参道」モデルステーション計画

    地下鉄の街と地上の街を繋ぐ
    駅ナカブームのきっかけ

    表参道駅から地上に出れば、パリのシャンゼリゼ通りにたとえられる美しい並木道のブランドストリートがあります。その雰囲気を地下にまで引き込み、街との一体感を地下空間にもたらそうという提案をし、数多くのコンペティターを押さえて当社が事業パートナーに選ばれ、"表参道駅パリ化計画"が始まったのでした。エチカ表参道は、"鉄道施設と商業空間を魅力的に融合させる"ことに成功した日本初の本格的な開発事例となりました。

2004

  • 2004
    東京国際空港再拡張事業

    高度な技術的知見で再生
    愛され期待される空港に

    2002年度の工法評価選定会議にも参加していた当社が、正式に東京国際空港再拡張事業に関わったのは、2004年度の試設計業務から。以降、2005年度の工事監督指針検討業務、2006年度の動態観測システム開発業務、2007年度からの工事監督補助業務と、計画から調査、契約、設計、工事までの全ての段階で技術とノウハウを提供。ハイブリッド構造の滑走路整備により、年間発着数は38%アップ。東京国際空港の可能性を大きく広げました。

2006

  • 2006
    地球環境京都メカニズム関連事業

    民間企業・自治体へ
    地球環境を守る業界標準

2010

  • 2010
    印旛沼流域水循環健全化プロジェクト調査

    地域の人々の関心を高め
    住民と共に進めた水質改善計画

    千葉県が中心となり2001年に立ち上げたのが、「印旛沼流域水循環健全化会議」。流域住民70万人一人ひとりが主体となって計画の策定や実践に携わることのできる体制を築いたこのプロジェクトに、当社はサポート役として参加。"平常時の水量回復""水質改善"などの観点から63にもおよぶ対策を掲げ、さらに農家と一体となって減肥への試みにも着手。行政と当社という"民間"の力が一体になることによって実現した、貴重な成果の一つです。

2014

  • 20149
    ジャカルタ駐在員事務所開設

2019

  • 20191
    シンガポール支店開設
  • 20198
    マニラ駐在員事務所開設
  • 2019
    パキスタン国 橋梁維持管理プロジェクト

    国内での経験と知識を礎にパキスタンへ
    橋梁維持管理技術で未来を動かせ!

    橋梁点検に基づいた維持管理計画が策定されないため、橋梁補修予算の要求が出来ず、結果として橋梁点検が実施できないという悪循環を断ち切るため、データベースを中核とし、点検計画→橋梁点検→点検結果評価→維持管理計画→橋梁補修の「橋梁維持管理サイクル」について啓蒙。橋梁維持管理サイクルを継続的に回すための技術協力を実施しました。この受注は、その後の当社の海外展開に多大な影響を与え受け継がれるものとなりました。

2020~2030年代

2020

  • 20201
    パシフィックコンサルタンツグループ株式会社を吸収合併

2021

  • 2021
    高松空港特定運営事業等(空港コンセッション)

    四国・瀬戸内No.1の国際空港を目指して
    国内外のコンサルティングノウハウをフル活用

    当社は三菱地所株式会社を代表企業とするコンソーシアムに参画し、2017年に優先交渉権を獲得。2018年4月、事業運営を開始しました。空港運営立ち上げ支援、運営開始後の国業務の引継ぎ支援や体制づくりなど、数々の空港に関するコンサルティングを担ってきた総合力を活かし、安心安全な空港運営に必要な支援を行ってきました。今日では、新規路線誘致活動や様々な施策の実行を、地元自治体や関係企業等との協働により推進しています。

  • 2021
    むつざわスマートウェルネスタウンプロジェクト

    地域の担い手としての新たな挑戦
    地方創生の中で民間企業の果たす役割

    2015年8月、地元で採れる天然ガスを活用したエネルギーの地産地消、地域活性化の拠点として、道の駅、さらには移住・定住を促す装置としての住宅を有する"スマートウェルネスタウン構想"を千葉県睦沢町に提案し、採択。拠点となる道の駅は、地域の防災拠点として大きな役割を担っています。本事業の運営期間は20年間であり、我々の地方創生、挑戦はこれからが本番です。地域活性化の一つの形、ショーケースとなるよう取組んでいきます。

  • 2021
    サイクロン・イダイ被災地域強靭化プロジェクト

    アフリカの地で災害に強いまちづくり
    日本の協力でサイクロン被害を最小化

    2019年3月14~15日にかけて上陸した強い勢力のサイクロン・イダイにより、アフリカ・モザンビーク国の中部ソファラ州ベイラ市付近において甚大な被害が発生。モザンビーク政府は我が国に対し支援を要請しました。本事業は、ベイラ市復旧復興計画における行動計画の策定を支援し、災害に強いまちづくりを目指すもの。ハザードマップをもとに災害リスクの理解促進等を行い、円滑な復興事業の促進、災害に強い社会の形成に寄与しています。

 

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