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<特別対談> 茨城ロボッツ × パシフィックコンサルタンツつくば技術研究センター

スポーツを通したコラボレーションと地域貢献 茨城ロボッツとともに新たな地域づくりを担う

パシフィックコンサルタンツは、プロバスケットボールチーム「茨城ロボッツ」のオフィシャルスポンサーとして、つくば技術研究センターを窓口に地域貢献活動を進めています。これまでの取り組みや今後の展開について、茨城ロボッツを率いる茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント代表取締役社長の川﨑篤之氏とつくば技術研究センター長の市山誠が対談しました。

INDEX

Bリーグ プレミアのライセンスを取得

――茨城ロボッツのプロフィールを教えてください。

川﨑:茨城ロボッツはBリーグ(B1)所属のプロバスケットボールチームで、創設は2013年7月です。当時はつくば市を拠点に「つくばロボッツ」というチーム名で、NBL(日本リーグ1部)に加わっていました。しかし翌年に運営会社が経営破綻していったんNBLの管理下に入り、その後、新たな運営会社のもとで2016年9月のBリーグスタートに合わせて、水戸市へ移転し名称を「茨城ロボッツ」へ変更、そしてホームタウンを水戸市・つくば市を中心とする茨城県のプロバスケットチームとしてB2に参入しました。その後2021年5月に1部に昇格し、現在1部で4シーズン目を戦っています。

――2026年から始まるB.LEAGUE PREMIER(Bプレミア)のライセンスを取得されましたね。

川﨑:2024年12月に4次審査の条件を満たしているとしてライセンスの交付を受け、晴れて日本のプロバスケットのトップカテゴリーに所属する26チームの1つとなりました。

――BリーグからBプレミアへの変わるのはどういう理由ですか。

川﨑:従来BリーグにはB1とB2、B3があり、毎年の戦績で入れ替えをしていました。しかしBリーグが掲げた改革「B.革新」では、B.PREMIER(以下Bプレミア)として、国内最高峰のレベルを目指して一定の基準を満たしたクラブだけが参入できる昇降格がないリーグになります。ただし、その基準は決して緩いものではなく、年間売上12億円以上、平均入場者数4,000名以上、収容スペック5,000席以上でスイートルーム設置などの基準を満たすアリーナがある、というものです。つまり単にそのシーズンの戦績がどうだったかではなく、安定した経営基盤や事業基盤を持ち、地域に貢献できるチームであるかどうかを問うもので、私もこれからのBリーグの発展のために重要な改革だと考えています。

市山:地元のプロチームとして地域の力にならなければいけないということですね。

川﨑:プロスポーツチームの一番の社会貢献は、そのまちで暮らす人の地元への愛着の根源になり、地元のアイデンティティをつくっていく力になることだと思います。茨城ロボッツがあるから茨城が好きだという人が増えるということですね。そもそも「自分たちは茨城の人間だ」というアイデンティティがなかったら、地元のために汗をかいて頑張ろうという人は生まれません。課題として叫ばれ続けている若者の人口流出も止まらないと思います。地元が好きだという人がどれだけいるか、それが地方創生を支える力だと思うんです。茨城ロボッツはその力になることが求められていますし、それができる存在だと思っています。

市山:川﨑さん自身も茨城のご出身だそうですね。

川﨑:そうなんです。現在、茨城ロボッツの社長は私で3代目ですが、私は初めての地元出身社長です。これまで土台をつくってくれた先輩には感謝しかありません。地元出身の人間として精一杯頑張って、次のステージに進みたいと思っています。「都道府県魅力度ランキング」という2009年から毎年行われている民間の調査がありますが、残念ながら茨城県は最下位がほぼ定位置です。寂しいですよね。少しでも上位にいくために、茨城ロボッツが力になりたいと思っています。実際、3年前の平均入場者数は1,500人くらいでしたが、おととしは3,480人、去年が4,619人にまで増えています。茨城ロボッツはパシフィックコンサルタンツさんはじめ地元に縁のある多くの企業のサポートを受けています。皆さんが地元茨城のために一緒に頑張りましょうと自分ごととして捉え、実際にアリーナに足を運んでくださっている成果だと思っています。

写真:左から川﨑氏、市山
左から川﨑氏、市山

チーム一丸となった取り組みに学ぶことは多い

――つくば技術研究センターもつくばで長く事業をしていますね。

市山:つくば市に拠点を置いて約40年になります。もともとは1974年に群馬県前橋市郊外の約1ヘクタールの敷地に開設した水理実験場があって、それを1984年12月に今の場所に「筑波実験場」として移転しました。現在は、屋外、屋内にそれぞれ本格的な水理実験場を持ち、水理実験や実証実験、分析、調査・計画の基となる基礎研究や他の大学や研究機関との共同研究などを総勢約50名のエンジニア(技術者)や技術スタッフが担っています。ただ、長くいても地域とのつながりは決して強くないんですね。以前は従業員の家族や近隣の方を招いた「つくば祭り」を開催していたのですが、現在は中断しています。本来、私たちコンサルタントの仕事は、地域の人たちの暮らしをより快適で、安心・安全なものにするために主に社会インフラの整備を担っていくところにあり、地域の発展こそ私たちの社会的な使命です。本業を通して、また本業以外のさまざまな社会的な活動を通してもっと地域に関わっていきたいと考えていたのですが、ちょうどそのときに茨城ロボッツとの出会いがありました。

川﨑:社内にすごく熱心なファンの方がいらしたんですよね。

市山:たまたま本社にバスケットボールが好きな人がいて、茨城ロボッツの強烈なファンだったんです。実は私も誘われて一緒に試合を観戦しました。その時に初めて生で見たのですが、インドアスポーツでありながらすごく迫力があり、エンターテインメントとしてもおもしろいんですね。茨城ロボッツの公式スポンサーになって、一緒に地域貢献ができたらすばらしいと思いました。以前にもパシフィックコンサルタンツ本社がスポンサーをしていたことがありますが、今回は自分で稟議書も書いて、2021-2022年シーズンから正式にスポンサーになっています。

川﨑:パシフィックコンサルタンツさんがスポンサーに加わってくれたのはうれしかったですね。パシフィックコンサルタンツさんと初めて出会った当時、ロボッツはBリーグ2年目で2部のチームでした。1試合1,000人くらい観に来てもらえるかどうか、という状況だったんです。しかし、2年目のシーズンからは御社のサポートで、茨城県のバスケットボール協会に選手登録をしている県内の小・中学生の無料招待を始めることができました。「プレイヤーズパス」という名称で、年間30試合のホームゲームが無料で観戦できるものです。これは今に続く大きな土台になっています。この時の観戦をきっかけにファンになってくれて、今も観戦に来てくれているんです。観客動員1,000人の茨城ロボッツが、ここまで成長できた原動力の1つです。

市山:私たちもスポンサーになることで得たものは大きいです。アリーナに足を運ぶと客席で一体となって応援する楽しさだけではなくて、選手とスタッフが一丸となってチームを支えていることがよくわかります。スタッフの頑張りやチームとしての一体感、そのエンゲージメントは非常に魅力的でした。公式スポンサーになって以来私たちも、茨城ロボッツを応援しているということが地域の一員であるということの気づきになったり、会社としての一体感や仲間意識の向上につながっています。社内だけでなく住まいの近くでも、私がロボッツのシャツを着て町内の清掃活動にでていたら「それ何ですか?」と話が弾んだことがありました。それがきっかけでその方は茨城ロボッツの大ファンになって、今ではプラチナ会員です(笑)。

川﨑:うれしいですね。スポンサー企業になってくれている会社からは、アリーナで自社の社名が掲げられているのを見ると誇らしいし、家族からも「お父さんの会社がでているね」と話題になると聞きました。さらに家族で観戦することで、一緒に試合に行くようになって会話が増えたという話もよく聞きます。

市山:それは確かにありますね。

川﨑:先ほどのご近所の方との出会いもそうだと思いますが、スポーツが家庭や会社、地域でのコミュニケーションのツールになって喜怒哀楽を共有できますね。スポーツならではのパワーだと思います。

人とまちと企業をつなぐ力になる

――いまは一緒にどんな活動をしているのですか。

川﨑:パシフィックコンサルタンツさんとはいろいろな地域貢献活動をしています。もともと茨城ロボッツとしても、スポンサーシップはスポンサー企業にお金を出していただいて、後は私たちが頑張ります、というものではないと考えてきました。「応援します。頑張ってください」ではなく「この地域のために一緒に頑張りましょう」ということが本来ではないかと思うんです。今私たちは「M-HOPE(エム-ホープ) ~みんなの希望~」という地域貢献活動を、スポンサー企業と一緒に進めています。選手が小学校や幼稚園・保育園、児童養護施設や福祉施設を訪ねたり、学校や施設へのバスケットボールゴールやバスケットボールの寄贈などを行っていますが、その一環としてパシフィックコンサルタンツさんにご支援いただき、特別支援学校や児童養護施設の子どもたちを試合観戦に招待しています。従来も招待活動はしていたのですが、職員の方の引率の負担や移動の関係で限られた人数しか来てもらえないということがあったので、パシフィックコンサルタンツさんにアリーナまでの大型貸し切りバスを手配していただきました。バスが施設を順番に回るので45名を一度に招待するということができました。それから応援に使うミニメガホンも用意していただきましたね。

市山:メガホンは観戦した後も家に飾ったりして思い出になるし「観に行ったの?」と話のきっかけにもなりますから、あるといいかなと思いました。当日は私たち従業員も一緒に行動して、お子さんたちが本当に楽しそうに過ごしているのを見て感激しましたし元気をもらいました。私たちとしてもいろいろな気づきの機会をいただいているという気がします。

川﨑:地域のプロスポーツチームの役割は「つなぐこと」だと思います。茨城ロボッツが共通の話題になって、地域の幅広い世代の方や障がいを持つ方、あるいは地域と企業、地域と学校などをつなぐことができれば、そこから茨城というアイデンティティがさらに育っていくと思います。

写真:2023年に開催したM-HOPEバスツアー
2023年に開催したM-HOPEバスツアー
茨城ロボッツ プレスリリース

「出身は茨城」と胸を張って言いたい

――これからどんな発展を考えていますか。

川﨑:おかげさまでBプレミアのライセンスを取得することができ、2026-27シーズンからは新しいステージで戦っていくことになります。茨城ロボッツはB1に昇格したときに「10年で日本一になる」と宣言しました。2031年が10年目なので、その約束を果たすことが、まず私たちの大きなミッションです。日本一になったらきっと日本中に散らばっている隠れ茨城県民が「オレ、茨城出身なんだぜ」と語尾のイントネーションをあげながら茨城弁で胸を張って言ってくれると思います。関西などで「出身はどこ?」と聞かれると「関東です」とか「東京のほう」と答える人が結構いるんですね。私も茨城出身だから気持ちは良くわかります。それを茨城ロボッツの力で変えたい。この2年、3年が勝負だと思っています。

市山:私たちの会社も今は大きな転換期にあると思っています。技術的には社会インフラ整備に生成AIやさまざまなITのツールをいかに導入して活用していくのかということがあり、仕事の進め方も大きく変えていかなければなりませんが、それ以上に、人の力をどう活かしていくのか、チームとして最高のパフォーマンスをいかに引き出していくのかということが問われています。先が見通せない難しい時代に必要なのは、人の力であり、その力を引き出せる組織です。私たちは「時代とともに変化する社会課題と未来の社会課題を見つけ出し、インフラエンジニアリングを核とした先進的なサービスによって解決する」ことをビジョンとして掲げています。誰よりも早く未来の社会課題を見つけ出し、それを先頭に立って解決するためには、メンバーがいかに最高の力を発揮できるかが重要です。茨城ロボッツの試合で選手だけでなくスタッフが一丸となって勝利に向かって取り組んでいる姿を見て、私たちももっと学びたいと思っています。それぞれの個性が尊重され、その力を一つに結集できるような組織が必要だからです。その意味でも社内はもちろん、地域にも茨城ロボッツのファンをもっと増やして、組織や地域の力を大きくしていきたいですね。

川﨑:ありがとうございます。本当に今は、一人ひとりの力をいかに引き出すか、それが問われている時代ですね。
これからもぜひご一緒にいろいろなことに挑戦していきましょう。

川﨑 篤之

KAWASAKI Atsushi

株式会社茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント
代表取締役社長

1978年1月、勝田市(現ひたちなか市)生まれ。立命館大法学部卒。2003年から水戸市議2期。12年1月にグロービス(現オーナー会社)入社後、「茨城水戸特設キャンパス」責任者を務める傍ら、初代・山谷拓志社長時からクラブ運営に関わり、20年7月に茨城ロボッツ・スポーツエンターテインメント執行役員、23年9月から同取締役、24年7月より代表取締役社長就任。茨城ロボッツとして初の茨城県出身社長として地元を盛り上げる。

市山 誠

ICHIYAMA Makoto

先端技術センター つくば技術研究センター長

1989年入社。河川部門でのキャリアをスタート。河川部の副部長を務めた後、北海道国土基盤部の部長に就任。その後、技術理事に就任し、河川横断構造物の破壊メカニズムや補修基準の研究に従事。さらに、河川流量観測技術の高度化・高効率化に関する研究にも参加し、河川管理技術の発展に寄与。また、大型水理模型実験に関わる業務にも従事し、実験手法の改良や新技術の導入に尽力。2021年10月からつくば技術研究センター長。博士(工学)、技術士(総合技術監理部門、建設部門)。

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